天才とはなにか?一知半解が露わになるのを怖れずに言うなら、なんだか知らんが小さな努力で大きな結果を得ることのできる脳みそを持つ人間のことだ。反論は許さない…というよりむしろ反論はナンセンスだ。錆び付いただけのネジなら頭を叩けば回せもするが、私のネジは錆びのみでできている。槌で叩けば砂塵に帰す。
そもそも、凡人サンプルとも言うべき、「絵に描いた凡人」たる私が言うことである。反証して頂いたところで、それをそれと解するほどの脳みそが私にはない。
したがって、黙ってこの先を読み進めるか、さっさと読み飛ばすかどちらかにして欲しい。

脳みそ…入力された情報群を処理して、出力として異なる(進化した/退行した)答えを出すための、入力と出力の間に位置する処理機関である。(ここで「スケトウダラの白子のような…あのブツ…を指しているのではなく、概念としての脳みその話だ」…などと冗長に言いたがるのも、私の脳みそが凡庸な証左である)

偶さかみつけた少しの知識の切れ端を、己が発明発見に取り違えて、ご機嫌にスキップを披露するほどの脳天気。
果ては、その『偶さか』を『必然必至なルールに基づいた自らの能力の証』であるかのような妄想的自己愛に囚われて信じ込む。

自己愛…自分を愛さずに誰を愛せるというのだ…わかったように聞こえる物言いで、端(はな)からシニカルなニヒリストを気取り言を続けよう。

「人は自分を愛すること」のみをエネルギーの源として生きていく生き物である。

女性が言う「優しい人が好き」の『優しい人』とは「自分を認めてくれる人」である。
我が子ができて子供嫌いが直った気になる勘違いも、その小猿のようなシワクチャの顔に、自分を見つけるからである。

自分を愛することそれ自体をどうこう言いたいのではない。自分を愛する故に自らの中に自然発生的に最初に湧き起こる「自己愛の力学」に知らんフリして、なんとなくのボンヤリした思い込みを、髪の毛一本の疑いもなく信じ込むというのは恥ずかしくはないのか…と言っているのである。

床の間の掛け軸に書いた未来永劫変わることのない宇宙の真理のように思っている君の中のその真実が、自己愛で汚れているとしたら震えないか?

もし君が嫌煙論者なのであれば、自分を疑ってみて欲しい。タバコが身体に良くないことが真実でも、愛煙家が悪なのではない。
もし君が愛煙家なのであれば、自分を疑ってみて欲しい。君は、タバコを愛しているのではなく、タバコを吸うときの安らかなあのひとときの自分が好きなだけなのだ。自分や他人の健康よりも。

自己愛の他所に、なにかルールや真理めいた美しい法則が原始の掟のように先に在って、世の中はすべてその法則に従って回っていると決めつけていないだろうか。真ん中にあるその法則は見つけ出せる類の真実であり、人は古来ずっと、その真実の周りで湖畔を周回するミツバチのようにグルグル回っているが、いずれその法則はだれかが必ず見つけ出せるのだと…そんな妄想に皆で囚われていないだろうか。

全ての尺度の基本となり、それさえ知れば、善悪・優劣・老若・男女・高低・軽重…すべての判断が可能になる…そんな『メートル原器』のような普遍的真実…それが何かはわからないけれど、それがあることだけは誰もが信じている…そんな気になってはいるが、よくよく考えてもみたまえ。だれかとその存在を確認し合ったことがあるのか?
まるで、見てもいないものを見てきたかのように終生「あの世」の話をしながらあの世に行ったGメンの親分の話のように滑稽だ。

締め付け固定工具のような名前の大阪の女流マンガ家集団の作品の台詞で「世の中に偶然なんてないわ。あるのは必然だけ。」というのがあるが、こう仮定してみて欲しい。

実は世の中に必然なんてない。あるのは偶然だけ。
あえて言うなら、自己愛だけが、産まれた途端にそこに在るものすべてだと付け加えよう。

どうだろう。すべての強欲や無欲・あらゆる慈善と略奪…それらの一見相容れないカップルが据わりよく仲睦まじく暮らしている桃源郷が見えはしないだろうか。