ネタに困ったブロガーはいまさら新聞を読め --- 永江一石のITマーケティング日記」 を読んで…

この方、いまだに「情報源は多い方がいいに決まっている」と断言してる。

なんだかなー…

情報は広い方が良い…つーのはある意味納得できるけれど、「情報は多い方が良い」ってのは違うでしょ?

あ「情報は…」じゃなくて「情報源は…」か。

「新聞でなければ得られない」という類の情報があるのであれば「新聞」という情報源は意味を持つでしょうね。

僕には見いだせませんけど。

まず、想起されることは…

絶対に失念しては鳴らない情報・必ず拾うべき情報…を決定するときには、忘却すべき情報・捨てるべき情報という補集合が存在します。

一方、情報を理解して、脳内処理の材料にして、自分の考えを決める…という処理には、時間というリソースが必要です。

だから…捨ててしかり…という類の情報は、はじめっから拾わないのが合理的。

(新聞の情報が、すべて、はじめから拾う価値がないと言っているのではありませんよ。念のため。)

一口に「情報」つったって…

世事もあれば、自分の専門分野のソフトウェアがアップデートしてえらく方向性が変わる…というような「世間の人には意味が無くても自分には重要な情報」もあります。

自分の嗜好としてのベクトルは、世事よりむしろ、自分にとって重要な情報に向かう…それは自然なことです。

そして重要なことです。

新聞に載るような情報で、自分にとって重要な情報が、新聞からでなければ入手できないとは思わないのです。

重ねて言いますが、新聞に載っている情報なんて無意味であると言っているのはありません。

「新聞を読んで吸い上げよう」という方向にハンドルを切るのは、無意味だと思うだけです。

もう「吸い上げよう」「取り込もう」としなければ、情報が入ってこなかった時代でありません。

情報のシャワーを浴び続けることを余儀なくされる時代に生きているのです。

ひとりの社会人としてオトナとして知っておいた方が良い…という全てのオトナにとって必要な情報は、勝手に必要分入ってくる環境さえ作ればいいだけです。

それは、SNSでもいいし、ニュースサイトのRSSでもいい。

そもそも完全なシャットアウトなんてできないのだから、「新聞を読むこと」それ自体が「褒められるべき行為」だと盲信することに違和感を禁じ得ません。